等身大の言葉で自分を表現する

 「逆光の竹林」と聞いて、人はどんなイメージをふくらますだろうか?小阪さんは、福永祥子さんの詩「天の河」の中にその言葉を見つけたとき、「ぼわーと明るくてその中に自分の後姿が見える。天国に行くとき、ちょうどそんな感じじゃないかしら」と思ったという。
 広いリビングルームに置かれた屏風(びょうぶ)に書かれたその文字は、竹のような強さとしなやかさをもち、背後に無限の広がりを感じさせる。「宇宙的な空間の中に文字がぽっかり浮かんでいる。それが作品の狙い。その通り感じてもらえてうれしいわあ」と子供のように顔をほころばす。
 一方の壁には座右の銘にしている「心映えよく暮らしたい」とモダンな書体の額がかかっている。
 古い和服をたおやかに着こなした小阪さんの中には、夢見る少女のような一面と、力強さ、モダンさなど様々な面が同居していて、それが多様な表現の作品を生み出している。

 昨年、神戸市須磨区で初めての個展を開いた。それが縁で三宮の画廊喫茶の女主人と知り合い意気投合、次の個展へと結びついた。その間にも陶芸家とジョイント展を開いたり、新聞などでも紹介されたり。いま注目されている書家の一人だ。

 十年前、現代書の草分けというべき村上翔雲に師事し、「自分の字を書きなさい」といわれたのが、大きな転機となった。
 それまでは「きっちりときれいに書く」ことを目標にしていたが、その後は「生きた文字」を目指すようになった。
 例えば、「月」。角度や空白の取り方によって、様々な月が表現できる、そこに面白みを感じた。また、難しい漢字や読めない文字を書くのではなく「私たちの世代の感性にフィットする、等身大の言葉を使いたい」と、身近な人の詩や俳句を題材に取り上げるようになった。
 自作詩の書もある。「女には自由と愛が宿るという愛の日々を 女には自由と愛が宿るという愛の・・・」としつように繰り返される。現実には表す術もない小阪さんの中に潜む女の性が、たたきつけるかのように表現されている。
 いつも「この一瞬一瞬が精一杯」という思いで書いてきた。これからもそんな一瞬を積み重ね、六十歳、七十歳になったとき、「どんな作品を書いているのか、そこにどんな自分が表れているのか、とても楽しみ」と話す。

                                           藤本仁美
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