「日本人が知らない夏目漱石」を書いた ダミアン・フラナガンさん
 「英国じゃ考えられない変な題名」。ケンブリッジ大で日本学を専攻していた一九八七年、夏目漱石の「吾輩(わがはい)は猫である」の英訳本「アイ・アム・ア・キャット」を手にした時の印象だ。それが漱石との出会いだった。

 ネコの視点から広がる初体験の世界、幅広い話題に織り交ぜられたユーモアと風刺…。「物事を多方面から考えさせられた。独創力があって面白い」。漱石に魅了された理由を流ちょうな日本語で語る。

 それからケンブリッジ大と神戸大などで十六年間、漱石の研究を続けた。しかし、自分が納得する漱石論が見つからず、自ら執筆を思い立った。

 取り上げたのは「門」と「三四郎」。「門」は、漱石が否定したとされる十九世紀のドイツの哲学者、ニーチェから、実は影響を受けたのではないか。「三四郎」で登場する奇怪な言葉「ストレイシープ」(迷羊)は、十九世紀の英画家、ウィリアム・ホルマン・ハントの絵画「雇われの羊飼い」からヒントを得たのではないか。新説を掲げて漱石の謎に挑む。


「ニーチェが影響」と新説


 執筆中、「雇われの羊飼い」は自宅のある英国の中部都市、マンチェスターの美術館に所蔵されていることを知った。「研究の行き着く先が故郷だったなんて皮肉なもの」とエピソードも紹介する。

 漱石は一九○○年から約二年間、ロンドンに滞在したが、英国では三島由紀夫や川端康成の作品の方が知られている。英国人が日本の小説に期待する「切腹」や「芸者」などを題材にしているからだという。

 「でも、漱石の世界の方が広がりがあり、思想も豊か。シェークスピアと並ぶ偉大な作家だ」と漱石への思い入れは強い。同時に「英国人にもっと漱石を知ってもらいたい。日本も漱石の素晴らしさを世界に伝えてほしい」と願い、日本語による二作目の執筆のほか、「倫敦(ろんどん)塔」など英国にちなんだ作品の英訳を目指す。

 関西が大好き。神戸大大学院在学中、阪神大震災により自宅が半壊したとき、お互いが助け合う関西の人情に触れたからだ。本の執筆も大阪のインターネット・カフェで、店員からパソコンの使い方を教わりながら四年間かけて仕上げた。「そのお礼に真っ先に本を届けました」と笑顔を見せる。

 英国と兵庫県西宮市を行き来しながら研究を続ける。文学博士。独身、三十四歳。

(世界思想社 二六○○円)

ロンドン支局 小林巧

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